98年12月26日
前から騒いでいたように引っ越しました。
丁度一週間前です。
とは言っても引っ越しを決意したのが11月だったので
この一ヶ月本当にバタバタしていました。
私の希望するような安アパートというのはなかなか
無い物です。
しかも、現在の行動範囲を変えずにという贅沢を言うと
尚更・・・
それでも何とかかつてのアパートより立地的には便利で
ほぼ希望に添う物件を見つけられたのはラッキーでした。
が、バタバタと探したためチェックが甘かったのは否定
出来ません。
中でも電気が10Aしか使え無いというのは結構辛い!
私はその貧しい経済力に似合わず電気製品は一人前以上
なのだ。
TVのアンテナが引かれていないのは、まあ室内アンテナで
お茶を濁そう。
BSの衛星がある方向に大きな木がある為、受信はかなり
厳しいだろう。
サッカーのテレビ観戦環境は地に落ちてしまったと
言っても過言では無い。
まあ、良い環境が欲しければ、せいぜい稼いで良い所に
引っ越すことだ。
この不便さを労働意欲に転化させれば良いのだ。
時間の無さは更に副作用を産んだ。
引っ越し当日の朝、前夜はほぼ徹夜だったにも関わらず
荷造りは終わっていなかったのだ。
荷物の量が予想以上に多く、近所のスーパーから
貰ってきた段ボール箱が圧倒的に足りなかった
というのも大きな理由の一つだ。
焦ってバタバタしている内に引越屋が来た。
「何だ、全然(準備)出来て無いじゃないか!」と言う
引越屋の言葉に申し訳なさと自分の不甲斐なさに腹が
立つのとで殆どパニック状態だった。
結局、必要以上に乱暴ながらも引越屋が荷造りも
手伝ってくれた。
少し後に近所の友人M氏が手伝いに来てくれて、彼の
活躍もあって無事(?)大まかな荷物の移動は予定通り
終わった。
新居の整理も殆ど手つかずのまま私は以前のアパートの
掃除に向かった。
年末のためゴミ捨ての時期が限られているのだ。
こんな時、引越先が近所だったのが幸いした。
以前のアパートに入って愕然とした。
荷物を積み込んでいる時は殆どパニック状態だった
ので気付かなかった・・・と言うより作業を進める
事を優先させるために敢えて黙っていたのだが、
引越屋の乱暴な荷造りはもはや破壊工作とさえ言える
レベルだったのだ。
無惨な姿になった部屋を見て私は悲しくなり、少し
引越屋を恨んだ。
でも、それ以上に荷造りを完璧にやっておけなかった
自分を憎んだ。
その部屋にはゴミだけでなく必要な物も少なからず
残っていた。
引越屋に壊されてしまった物は泣く泣く捨てたが・・・
新居に持って行く荷物はとても一回や二回で運べる
量では無かったが、近くなので少しずつ運べば良い
だろう。
以前のアパートに残された荷物の中に私の父親が作った
本棚があった。
まだ私が小学生の頃、余った板などで作ったお世辞にも
美しいとは言い難い無骨な、もっとはっきり言えばボロい
本棚である。
他にもガタの来ていたカラーボックスなどと一緒に
この引越を機会に廃棄処分するつもりでいた。
そのままでは大きくてとてもゴミ処理業者が持って
行ってくれるとは考え難いのでバラバラに叩き壊して
から可燃ゴミに出すことにした。
元々ガタが来ていたのもあるが、チャチな合板の
カラーボックスは実に簡単にバラバラになった。
今度は父親の本棚だ。
棚の部分に狙いを付けて一発蹴りを見舞った。
手加減をしていたとは言え、その予想以上の手応え
(この場合足応えか)にびっくりした。
ヒビこそ入ったものの、その棚に使われていたむくの
板はカラーボックスのチャチな合板とは訳が違った。
その予想以上の頑丈さ、入ってしまったヒビ、姿の
無骨さ・・・
その時、日曜大工でその本棚を一生懸命作っていた
父親が思い出されてしまった。
私と違って手先は器用な父、その反面人付き合いが
苦手で・・・もっとも私も決して人付き合いが
上手という訳でも無いが。
頑固な所は私と同じ・・・いや、これに関しては
今や私の方が上だな。
そんな父の作った本棚を新居に持って行ってやろう
と思った。
自転車で運ぶには大き過ぎるし、重過ぎるるが
工夫すれば何とかなるだろう。
恥ずかしい話だが、私は両親と感情的に決して上手く
いっているとは言えない。
彼等が私を愛していることは知っている。
私も彼等に感謝し、その真面目さに対し尊敬も
している。
だが、まだ消化し切れていない感情があるのも
また事実なのだ。
今回の本棚の一件で少しだけ以前より普通に接して
みようと思ったし、出来るような気がした。
相変わらず余所余所しさは残るだろうが・・・
まあ、親子なんてそんな物なのかも知れないしね。
しかし、片付かないなー。荷物。
まあ、年内に格好着ければ良いか。