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  • 98年12月26日

    前から騒いでいたように引っ越しました。
    丁度一週間前です。
    とは言っても引っ越しを決意したのが11月だったので
    この一ヶ月本当にバタバタしていました。
    私の希望するような安アパートというのはなかなか
    無い物です。
    しかも、現在の行動範囲を変えずにという贅沢を言うと
    尚更・・・
    それでも何とかかつてのアパートより立地的には便利で
    ほぼ希望に添う物件を見つけられたのはラッキーでした。

    が、バタバタと探したためチェックが甘かったのは否定
    出来ません。
    中でも電気が10Aしか使え無いというのは結構辛い!
    私はその貧しい経済力に似合わず電気製品は一人前以上
    なのだ。
    TVのアンテナが引かれていないのは、まあ室内アンテナで
    お茶を濁そう。
    BSの衛星がある方向に大きな木がある為、受信はかなり
    厳しいだろう。
    サッカーのテレビ観戦環境は地に落ちてしまったと
    言っても過言では無い。

    まあ、良い環境が欲しければ、せいぜい稼いで良い所に
    引っ越すことだ。
    この不便さを労働意欲に転化させれば良いのだ。

    時間の無さは更に副作用を産んだ。
    引っ越し当日の朝、前夜はほぼ徹夜だったにも関わらず
    荷造りは終わっていなかったのだ。
    荷物の量が予想以上に多く、近所のスーパーから
    貰ってきた段ボール箱が圧倒的に足りなかった
    というのも大きな理由の一つだ。
    焦ってバタバタしている内に引越屋が来た。
    「何だ、全然(準備)出来て無いじゃないか!」と言う
    引越屋の言葉に申し訳なさと自分の不甲斐なさに腹が
    立つのとで殆どパニック状態だった。
    結局、必要以上に乱暴ながらも引越屋が荷造りも
    手伝ってくれた。
    少し後に近所の友人M氏が手伝いに来てくれて、彼の
    活躍もあって無事(?)大まかな荷物の移動は予定通り
    終わった。

    新居の整理も殆ど手つかずのまま私は以前のアパートの
    掃除に向かった。
    年末のためゴミ捨ての時期が限られているのだ。
    こんな時、引越先が近所だったのが幸いした。

    以前のアパートに入って愕然とした。
    荷物を積み込んでいる時は殆どパニック状態だった
    ので気付かなかった・・・と言うより作業を進める
    事を優先させるために敢えて黙っていたのだが、
    引越屋の乱暴な荷造りはもはや破壊工作とさえ言える
    レベルだったのだ。
    無惨な姿になった部屋を見て私は悲しくなり、少し
    引越屋を恨んだ。
    でも、それ以上に荷造りを完璧にやっておけなかった
    自分を憎んだ。

    その部屋にはゴミだけでなく必要な物も少なからず
    残っていた。
    引越屋に壊されてしまった物は泣く泣く捨てたが・・・
    新居に持って行く荷物はとても一回や二回で運べる
    量では無かったが、近くなので少しずつ運べば良い
    だろう。

    以前のアパートに残された荷物の中に私の父親が作った
    本棚があった。
    まだ私が小学生の頃、余った板などで作ったお世辞にも
    美しいとは言い難い無骨な、もっとはっきり言えばボロい
    本棚である。
    他にもガタの来ていたカラーボックスなどと一緒に
    この引越を機会に廃棄処分するつもりでいた。
    そのままでは大きくてとてもゴミ処理業者が持って
    行ってくれるとは考え難いのでバラバラに叩き壊して
    から可燃ゴミに出すことにした。

    元々ガタが来ていたのもあるが、チャチな合板の
    カラーボックスは実に簡単にバラバラになった。
    今度は父親の本棚だ。
    棚の部分に狙いを付けて一発蹴りを見舞った。
    手加減をしていたとは言え、その予想以上の手応え
    (この場合足応えか)にびっくりした。
    ヒビこそ入ったものの、その棚に使われていたむくの
    板はカラーボックスのチャチな合板とは訳が違った。

    その予想以上の頑丈さ、入ってしまったヒビ、姿の
    無骨さ・・・
    その時、日曜大工でその本棚を一生懸命作っていた
    父親が思い出されてしまった。
    私と違って手先は器用な父、その反面人付き合いが
    苦手で・・・もっとも私も決して人付き合いが
    上手という訳でも無いが。
    頑固な所は私と同じ・・・いや、これに関しては
    今や私の方が上だな。
    そんな父の作った本棚を新居に持って行ってやろう
    と思った。
    自転車で運ぶには大き過ぎるし、重過ぎるるが
    工夫すれば何とかなるだろう。

    恥ずかしい話だが、私は両親と感情的に決して上手く
    いっているとは言えない。
    彼等が私を愛していることは知っている。
    私も彼等に感謝し、その真面目さに対し尊敬も
    している。
    だが、まだ消化し切れていない感情があるのも
    また事実なのだ。
    今回の本棚の一件で少しだけ以前より普通に接して
    みようと思ったし、出来るような気がした。
    相変わらず余所余所しさは残るだろうが・・・
    まあ、親子なんてそんな物なのかも知れないしね。

    しかし、片付かないなー。荷物。
    まあ、年内に格好着ければ良いか。

  • 98年12月7日

    ここに書くのも何だか偉い久しぶりだ。
    近々引っ越しをするので、その準備として部屋にある物の
    整理をしたり、処分をしたりしている。
    自慢じゃないが私の部屋は私の経済力に見合わない程物に
    溢れている。
    勿論大部分は書籍なのだが
    仕事に関係する物は勿論、それ以上に多いのが私の無節操
    とさえ言える程多岐に渡る趣味に関係する物だ。
    基本的にどれもガラクタで資産価値なんて物は全く無い!
    我ながら良く買った物だ。

    現在の住まいに引っ越して10年弱の間に溜まった歴史・・・
    と言うより垢と言ったところだろうか?
    この本の整理と言うのがまた厄介で、整理している途中にも
    関わらず、つい読み込んでしまうのだ。
    お陰で一向に進まない。
    え?厄介なのはお前だって? 仰る通りです。
    しかし、この厄介事の中で面白い物が出てきた。
    昔の雑誌である。
    丁度バブルが弾けた頃では、弾けたとは言えまだバブルの
    残り香が感じられ、結構脳天気だったりする。
    しかし、暫くすると先ず大人の元気が無くなり、それまで
    元気だった女子大生も就職難が原因なのか大人しくなっていく。
    まあ、男どものしょぼくれ加減に比べれば可愛い物なのだろうが
    そうしてのしてきたのが、生活の中で不景気を感じることの
    殆ど無い女子高生だったりするのだ。

    もう一つ感じたのが女の子の強烈な物欲ってのは間違いなく
    バブルの残り香なのだな〜って事。
    ブランド物を一般の若い女の子が背伸びして買ったりね。
    アッシー、メッシー、貢ぐクンなんてのもあったなー。
    私は結構リアルタイムだったりするんだけど、やはり当時から
    馬鹿馬鹿しいと思っていた。そんなにしてまでねー。
    もっとも、当時から私は貧乏だったし車どころか免許さえ持って
    いなかったのでどれになる事も不可能だったんだけどね。

    ただ、残念なのが昔から私はアイドルとかには興味がなくて、
    グラビアなんか見ても時代を感じることは無いのだ。
    ここで一つの楽しみを損したような気になるが、まあ良いだろう。
    その代わりにサッカーを始めスポーツ記事でで時代を感じさせて
    貰ったからね。

    そんなこんなで何時までも読んでいるわけにもいかないし、
    処分しないと片付かないので、泣く泣く雑誌類は捨てて
    漫画や小説は古本屋に売った。
    この古本屋に売るってのが、また腹が立った。
    ある程度予想はしていたが、想像以上に叩かれて何と400冊強で
    一万円強!
    それなりに値段の付く本もあった筈なのに・・・
    売った店が悪かったのだろうか?
    他の店をまた呼ぶのも面倒なので仕方無しに売ったが
    二度とあの店に売る物か!”BOOK OFF”

    ビデオもまた、結構ある。
    殆どがサッカーの試合なのだが、大体86年のメキシコW杯から
    なので膨大な量だ。
    しかも、古い物の殆どがβなので困る。
    そうそう、先のフランス大会は何と全試合友人が録画して
    くれたのだ。大感謝である。
    他にも今は無き大陸書房に務めていた友人に只で貰ったエロビデオ
    や、中には漫画の作画資料として編集部に貰ったビデオが封も
    切らずにあったりする。
    取り敢えずW杯を始めサッカーの物は全部取っておくが、あとの
    訳の分からない物は邪魔なので殆ど捨てることにした。
    でも、以前テープを買う金が無くてパリダカ等レースを録った
    テープにW杯を上書きして、後に後悔したことがあるんだよなー・・・

    しかし、ごちゃごちゃ考えていると全然片付かないぞ。
    年末は行事が詰まっているんだ、マシンになってとっとと用事は
    片付けないと無事新年が迎えられないぞ。
    って事で感慨に浸るのは引っ越した後にしよう。

  • 98年10月29日(木)

    ”寝耳に水”この言葉こそがぴったりである。
    横浜フリューゲルスが同じ横浜をホームタウンとするマリノスと
    合併、名称を「横浜F・マリノス」となるらしい。
    合併というが実質はフリューゲルスが潰れ、マリノスに吸収される
    と言った方が正しいだろう。
    ここ最近の不況によりフリューゲルスのメインスポンサーである
    佐藤工業が撤退したため、もう一つのメインスポンサーである
    全日空だけでは支えきれなくなったことが最大の理由であるという。
    マリノスもやはり経営は厳しく、同じ横浜をホームタウンとしている
    ということからJ−リーグ事務局も超法規的処理ということで
    認可したらしい。

    日本の景気がバブリーだった頃に企画され、開幕こそバブルが弾けた
    後だったが、その後2年ほどのJ−リーグバブル人気に各チームは
    奢り、必要以上に多くの選手を抱え、その選手に分不相応な給料を
    与えるといったいい加減な経営をしていればこのような事が起こる
    のは遅かれ早かれ当然ではなかっただろうか。
    また、J−リーグ事務局も「Jに参加させてやる」とでも言わん
    ばかりの官僚的とさえ言える傲慢な運営。
    基本理念に「地域密着」を唱いながらこれを実践しているチームが
    どれだけあるのだろうか?
    各チーム役員もサッカーに対する愛情の欠片さえ持たない親会社
    からの腰掛け出向や、チーム運営の知識があるとは考え難い
    元有名選手。
    何故その道のプロを雇わないのだろうか?
    そして、その様な人材を育成しようとしないのだろうか?
    こういった事は何もサッカーチームに限った事では無く、上部組織
    に当たる日本サッカー協会やその他多くの日本企業にも言えること
    なのだ。

    偶然、最近テリー伊東の書いた「お笑い大蔵省極秘情報」、その続編
    である「大蔵官僚の復讐」という2冊の本を読みました。
    どちらも売れっ子TVプロデューサーであるテリー伊東が現役
    大蔵官僚にインタビューし、それを編集、掲載した物です。
    大蔵官僚の想像を絶するエリート意識にも驚いたが、その余りに
    ダイナミズムに乏しいシステムに”日本型経営”をデフォルメした
    物にさえ見え、この国の限界を見た思いでありましたね。
    本としてはなかなか面白いのでお勧めです。

  • 98年9月30日(水)

    これは一週間前の話だ。その日は久振りにちゃんと朝起きた。
    とは言え9時前なので早起きとはとても言えない時間だ。
    この日は友人のS氏と野球観戦する予定なのだ。
    しかも二人とも貧乏なので外野席の当日券を買うために早くから
    並ばなければならない。
    おまけに三十何年振りの優勝を目指し現在首位を走る横浜BS
    である。 ファンは相当盛り上がって居るであろう事は容易に
    想像はついた。
    友人のS氏は川崎在住の大洋ホエールズ時代からの筋金入りの
    横浜ファンである。
    そして私は昨年からのにわかベイスターズファンである。

    慣れない早起きに眠い目を擦りながら電車で横浜スタジアムのある
    関内へ行く。
    着いたのは午前11時頃だがさすがに熱心なファンは既に
    数百人が列を作っていた。
    が、幾つも列があり、どれが我々の並ぶ当日券購入の列なのか
    分からない。
    仕方ないので何人かに聞いてみると一番人の少ない列がそれで
    あるらしい。
    取り敢えずその列の一番後ろに場所取りのシートを置き
    すぐ側にある中華街で食事を取ることにした。
    私もS氏も美味くて高い店に入る金も無いのし、美味い、
    もしくは美味いと言われる店も知らないので適当にぶらついて
    いると「ランチタイム2割引」と張り紙のある店が・・・
    迷うことは無い。ランチタイムの時間であることを確かめると
    店に入った。
    店はこれといった特色もなく装飾も料理も本当に普通の
    中華料理屋だった。
    サービスで出された中華饅頭は今一だったが・・・

    食事が終わって球場に戻ると列は少し増えていたが驚くほどでは
    無かった。
    やることもなく暇なのでS氏に現在私のお気に入りの漫画
    「蒼天航路」を布教する。
    この「蒼天航路」は「三国志」では主に悪役の如く扱われる
    曹操孟徳を主人公とした週間モーニング掲載の漫画である。
    私は「三国志」の中ではこの曹操が最も好きな武将なのである。
    S氏は曹操好きでこそ無いが私の数十倍の「三国志」好き
    である。マニアといっても良いだろう。
    そんな彼にこの漫画を薦めない訳にはいかない。現在出ている
    13巻の内、半分の7巻までを貸すために私は持ってきていた。

    そんな話をしていると二人連れの若者が話し掛けてきた。
    「何枚のチケットを買うんですか?」と。
    いっている意味はよく分からなかったが取り敢えず私と彼の
    二枚買いますと答えた。
    すると彼等はどうぞとばかりに二枚のチケットを差し出した。
    S氏が「お幾らですか?」と聞くと「僕らは用事のため見れ
    ないので使って下さい。お金はいいです。」と言うのだ。
    「でも・・」と戸惑う我々に「僕らの分も応援して下さい。
    じゃあ、急ぎますので」と名前も告げずにそそくさと立ち
    去ってしまった。
    私はばりばりの唯物論者である。
    が、W杯でチケットを格安で譲って貰った事といい、今回の
    事といい、二回も続くとラッキーと呼ぶにも・・・
    と思ってしまう。
    何はともあれ助かったのは確かだ。
    金銭的な事は勿論、本来ならこの当日券の列に並び、券を
    買った後、また入場の列に並ばねばならない筈だったのだ。
    そうなれば良い席に座るのは勿論、いや椅子に座ることさえ
    難しいだろう。
    それが今すぐ入場の列に並べばそこそこの良い席に座る
    事も不可能で無いと思われる。

    入場が始まるまで暫くS氏と「蒼天航路」の話、漫画の話を
    していたので退屈することは無かった。
    元々たまに合えばファミレスで何時間も漫画の話をする
    者同士である。
    開場し、入場するとライトスタンドの中段、電光掲示板こそ
    見難いがなかなか良い席ではないだろうか。
    試合は横浜の先発の野村が持ち前の粘りあるピッチングを
    見せ、攻めてはあまり調子の良くない中日の山本昌に対し
    駒田がチャンスをことごとく潰すという拙攻を繰り返したが
    6回に得意の集中打を見せ、大量リードに押さえの切り札
    ”大魔人”佐々木を出すまでも無く快勝!

    試合後、球場の側でのファンの盛り上がりは面白かった。
    曰く「今日、私はマジック童貞を卒業しました。これで
    一人前の男になることが出来ました」と。

    しかし数日後自らの敗北によって早くもマジックが消滅
    してしまうとはこの時誰が予想しただろう。
    まあ、幾ら何でも横浜が優勝を逃すような事は無いと
    思うけどね。

  • 98年9月23日(水)

    私の働いている事務所に居た二羽の兎が居なくなった。
    間もなく引っ越し、その引っ越し先ではペットが飼えないからだ。
    無論、現在の場所でも飼えないのだが、何とかごまかしていた。
    飼い主が友人に引き取って貰った翌日、臨時雇いのM君が来た。
    彼はいつもの場所にいつもの物が居ないので「あれ、兎は?」
    と聞いた。
    私は当然のように「食った」と。
    当然本気にしない彼は再び聞くが私の答えはあくまで
    「だから食ったんだってば」彼は全く信じては居なかったが
    取り敢えずその場はそれで話は終わった。

    翌日、仕事が終わり片付けをしている時、思い出したようにM君は
    また同じ事を聞いてきた。
    私の答えはやはり同じだったが今回は周りの人も私の話に
    同調しだしたのだ。
    曰く「鍋にして食った」「さばいたのは当然上野さん」「やはり
    太股が美味かった」「以外と量があった」等々・・・
    T氏に至っては「毛が残ってるけど見る?」とまで。
    時々Oさんが調子に乗っておかしな事を言うがM君がそれに
    気付く前に次の話に逸らせばそうそう気付かれない物だ。
    そういうコントロールは結構私の得意分野だったりする。

    「どうやって殺したんですか?やっぱり鳥みたいに首捻ったん
    ですか?」
    「いや、ビニール袋に入れて押さえつけて包丁で一気に。
    殺したのもさばいたのも風呂場、結構血が出るからね。」と私。
    「俺は恐くて見れなかった」とはT氏。
    「あたしは「ああ、こういう風にやるのか」って見てた」と
    飼い主のなっちゃん。
    喋ればボロを出すOさんにはなるべく話を振らないようにする。
    こんな話が続くとM君もだんだん信じて来るようになったようだ。
    まあ、さすがに100%は信じてはいないだろうが60〜70%
    は信じたんじゃないかな?

    こういう遊びは久しぶりだがなかなか楽しい物だ。
    こんな事言っているから「根はいじめっ子」とか言われるんだな。
    ま、いっか。

  • 98年8月24日(月)

    私の知る限り多くの人はカニが好きです。
    無論私も例外ではありません。
    ですが先日、このカニが私にとんでもない事をしてくれました。

    いつものように昼前に起きて昼飯を食った時に既に予感は感じて
    いました。 昼食は同僚にローソンで買ってきて貰ったサラダと
    寿司、この寿司の中にほんの僅かカニの肉が使われていました。
    一口食べた時に舌の先が少し痒くなった、こらはいつもの
    事なので気にせず全部平らげてしまった。
    私はカニに対して軽いアレルギーがあるようで、少しでも鮮度の
    落ちたカニを食べると舌が痒くなるのだ。
    新鮮なカニなら何の問題も無いのだから贅沢なものである。
    しかし食い意地の張った私はいつもその痒さも美味しいカニを
    食べる為の税金みたいな物だぐらいに思い、気にせず食べて
    いました。

    しかし、この日は少し違っていました。 いつもならすぐに引く
    痒みがいつまで経っても引きません。それにいつもより酷く、
    集中の妨げとなり、仕事に支障を感じたので何度も口を濯ぎ、
    歯を磨きました。
    歯磨きのミントによってその時は良くなるのですがすぐに痒みは
    復活!しかも今回は舌だけでなく喉から唇にまでその範囲は
    広がっているのだ。
    騙し騙し仕事を続けていたら今度は全身の感覚がボーとしてくる。
    丁度熱がある時のように、だが寒気とかはしないので熱は無さそう。
    酒飲んで酔っぱらいながら原稿を描くこともある私はそれでも
    仕事を続けた。そして遂に手足が痺れたときには流石にビビった。

    区切りが着いたところで15分だけ横にならせて貰った。
    人の身体とは大した物で、「15分だけ」と強く思うとちゃんと
    15分で目が覚めるのだ。
    目が覚めると寒気がした、どうやら熱もあるようだ。
    が、手のしびれは取れていたので仕事を再開した。
    こんな体調でも腹は減る、ローソンで買ったカップ麺の沖縄そばを
    夜食に取って仕事を続けた。
    体調のせいでは無いと思うがこれは外れだった。
    私は元々沖縄そばが好きなのだが全然沖縄そばでは無かった。
    まあ、沖縄のインスタント沖縄そばも大したこと無かったので
    仕方のない事なのかも知れないが・・・

    仕事も終わりシャワーを浴びて鏡の前に立った時、びっくりした。
    胸一面に蕁麻疹が出ていたのに。
    結局その夜はいつもの晩酌はせずにすぐに寝た。
    次の朝には症状は殆ど回復して仕事に支障をきたすような事は
    無かったが、一つだけ不安な事がある。
    今回の騒ぎを機にアレルギーが更に敏感になってカニを全く
    受け付けなくなってしまうこともある。という事だ。
    最初にも言ったが私はカニが大好きだから。

    これを狙った訳ではないのだろうが数日前、私の家には懸賞で
    当たったカニの食事券が送られて来たのだ。
    ただ、その店は愛知県にあり、行けるかどうか少し怪しいのだが。

  • 98年8月20日(木)

     PCのパワーアップをした。
    以前から友人に勧められていたHDDの容量アップを始めCPUの交換
    等・・・
    先ず、HDDは友人の薦めでIBMの6G物を。
    これが先週の話、その際CPUも交換する事にしたが、その時点では
    使っていたMBに問題なく載り(実際試用済み)、価格も安いM-2に
    決めていたがその後Niftyなどで情報を集めてみるとどうやら私の
    MBでも改造によって正式には対応していない300Mhz、2.2v
    は出せる事が判明。
    これが間違いの元であった。
    AMDのk6-2と言うCPUは価格はそこそこで処理速度に優れた物である。
    コストパフォーマンスを考えるとM-2なのだがこのマシンにもう手は
    加えないとの考えからk6-2を購入した。

    Niftyとインターネットで調べた資料によりMBに改造を加えるが
    なかなか上手い事いかない。
    あれこれといじって、殆どまぐれで定格の動作をさせることが出来た。
    が、放熱が上手くいかず、なかなかちゃんと動かない。
    とは言え熱問題は良いCPUクーラーを買ってくれば済むことなので
    改造は概ね上手くいったと言えよう。
    インターネットに繋ぐために一時的にMBを改造前の設定に戻し、
    CPUも以前の物に戻して暫く作業をした。

    一日の作業も終わり、新しい設定にもう一度しようとした時、悲劇は
    起こった。
    焦げ臭い匂いがPCからして来るではないか。慌てて電源を切ったが
    時既に遅し。
    我がMBは半身不随となってしまった。
    一応動くには動くのだがその処理速度は以前の半分強。
    しかも当然の如く不安定。
    少し覚悟していたとは言え洒落にならないものである。
    新しいHDDには話題のWindows98を導入しようかとも考えていたが
    それどころではない。
    そんな自らのミスに嫌気がさし、ふて寝しているところに近所の友人
    から電話があった。
    彼の家で一緒に鰻を食うと少し気が晴れ、新たなMBを買う気力も
    沸いてきた。
    彼の家で一緒にインターネットで物色する。
    手持ちのパーツを生かすために今や時代遅れの感も強い電源はATで
    SIMMソケットが4つあってと言う贅沢な要求を満たす品ははっきり
    言って少ない。
    あっても入荷は8月末とか・・・

    そして今週、仕事の帰りに新宿のソフマップを覗くと何故か
    第一希望のMBがあった。
    秋葉原に行けばもう少し安く手に入るのではないかとの考えから
    その場で買うのは控えて数日後友人と一緒に秋葉原に行った。
    しかしどの店でもそのMBは売っていなく、帰り際に一軒売っている
    店を見付けたが新宿のソフマップより約3000円も高い。
    仕方なく友人にPHSを借りて新宿のソフマップに電話して在庫の
    確認と取り置きを頼む。
    彼とは神保町で一緒に寿司(回るヤツ)を食った後別れて私は
    新宿に向かった。ソフマップでMBを買うと、何と私が買ったのが
    最後の一枚だったのだ。電話しておいて良かった。

    家に帰って早速組み上げてみるがウンとも寸とも言わない。
    今度こそすんなり行くと思ったがそうは問屋が下ろさなかった。
    またかと思いながら設定を色々といじり直してみる。
    「動いた!」が、表示されるクロックは遅い。
    そんなことを繰り返すが一向に定格のクロックは表示されない。
    ふと見直したマニュアルに自分があまりに下らないミスをしていた
    事に気付く。
    ベースクロックと倍率の設定をあべこべにやってしまっていたのだ。
    ありがちね。
    今度こそ・・・動いた、ばっちり!300Mhz!!
    ちゃんと組立直してHDDのフォーマットを・・・今度はHDDを
    認識しない。
    ディップスイッチをいじったり並べ替えをしたりしてやっと認識
    させる事が出来た。
    そしてフォーマット。6.4Gを3つのパーテーションに切って・・・
    FAT32のフォーマットの理屈が以前のDOSと違うのでちょっと
    戸惑ったが以外とすんなり行った。

    いよいよWin95の導入だ。今までとはちょっと違った形で
    インストールしようとしたのが要らん手間をかける元となったが
    数回のやり直しの後無事終了。
    CD-ROMドライバを手動でconfig等に書き加えなければならないのが
    面倒だ。
    まあ、以前のDOS環境は常にそんな作業をしていたからそれに
    比べれば楽なもの・・・でもないけどね。

    先週買ったASUS純正のUSBポートは「無理かな」と思いながらも
    勘で繋げてbiosの設定をしてみたら拍子抜けなほどすんなりと認識。
    取り敢えずOS、ドライバ類のインストールは終わったので
    クロックアップにチャレンジ。この為にちょっと高いCPUクーラーを
    買ったんだ。
    設定を変え、起動。よし、ちゃんとk6-2333と表示される。
    動作も安定している。さすがにきびきびしている。快感・・・
    以前から使っていたアプリをインストして電源を切った。
    ケースの蓋を閉めて所定の場所に収容して作業を終えた。

    しかし翌日、作業は終わっていなかったのだ。
    立ち上げてみたがやけに不安定だ。しまいには起動の途中でこける
    ようになる。
    おかしい、昨日はあんなに安定していたのに・・・・
    昨日と変わったことは? そう、蓋を閉めたことだ。
    蓋を開けてもう一度起動してみるとばっちり安定している。
    やはり熱が原因か。泣く泣く300Mhzに戻す。
    ベンチマークの結果を参照に75*4の設定から100*3に変更。
    現在はきびきびと安定して動いているようなので大丈夫だろう。

    もう暫く(今世紀中?)は働いて貰うつもりだからね。
    頑張ってくれたまえ。

  • 98年7月28日(火)

     焼き魚に焼き茄子、モズク酢、おひたし、そして豆腐とワカメの
    味噌汁と純和風の夕食を食べていたら遠くの方から爆発音が
    聞こえてくる。
    しかも一回だけではなく何回も不規則に連続に・・・
     どうやら何処かで花火大会をやっている様だ。

    食事が終わったら腹ごなしにちょっと自転車でひとっ走りして
    見物にでも行こうか。
    先週末に行われた盆踊りも来週末に馬事公園で行われる祭りも
    仕事のため参加出来ないことだし。

    何処でやっているのか分からないので取り敢えず環八を南下
    してみる。が、砧公園に差し掛かった所等辺りで聞こえた
    爆音によると、どうも方向違いであるらしい事が判明。
    おそらく正しいと思われる方向に向かうべく世田谷通りまで戻る。
    世田谷通りを西に下ると、何だか懐かしい気がする。
    この通りはかつて仕事場のあった府中に通勤するため毎週自転車で
    通っていた道だからだ。
    一年ほど前まで友人が住んでいてよく遊びに行った成城学園を
    通り越し、通勤途中、信号無視のシルビアにはねられた狛江の
    交差点に差し掛かった頃にはもう何の音も聞こえなくなっていた。

    おかしいな、音の加減だと狛江辺りでやっていると思ったのだけど
    何の音も聞こえないな。それに花火大会とかがあれば駅から人の
    波があるはずなのだが、それも無い。
    まあ、久々の夜のサイクリングは気持ちがいいので取り敢えず
    このまま多摩川を超える辺りまで行ったら帰ろう。
    等と思って和泉多摩川駅の側迄行った時、再び爆音は聞こえた。
    それもすぐ側で。ビルと並木の間から大きな花火が見えた。
    此処だったのか!

    脇道に入って河川敷の方へと行くと人波がある。交通整理の警官に
    自転車は進入禁止だと言われ、和泉多摩川駅の側の自転車置き場に
    自転車を置いて出直す。
    さすがに駅からは沢山の親子連れ、アベック等々民族大移動だ。
    浴衣を着た女性も少なからず居る。

    浴衣を着て髪を上げた女性というのははっきり言って好みなのだが
    どうもあまり格好良くない娘が少なくない。
    何故だろう?決まっている娘と、そうでない娘を何人も見比べて
    判明した。和服は姿勢が良くないと露骨にだらしなく見えるのだ。
    折角可愛い浴衣を着ていても台無しである。
    私は浴衣等和服の女性が大好きだがそれ以上に姿勢の良し悪しは
    気になる。
    電車とか乗っていても、姿勢の悪い若い娘を見る度に「勿体ないな
    背筋を伸ばすだけで5割は格好良く見えるのに」等と余計なお世話
    な事を考えてしまう。親父臭いなあ。

    河川敷に着くとそこはもう人人人であった。
    花火は対岸で打ち上げられるのだが、風が私の居る観客席側に
    向かって吹いているので、殆ど頭上で爆発しているようだ。
    花火の破片も沢山降ってくる。
    私は眼鏡をしていた為何という事は無かったが、周りには破片が
    目に入った女性や、破片をよけるためにうちわで顔を覆っていた
    女性も少なくなかった。
    私が見ていた場所のすぐ後ろにマンションがあった為、花火の音が
    跳ね返って頭上やや前と、僅かな時間差で後ろからも爆発音が
    聞こえて何か不思議な感じがした。
    しかし、至近距離での大きな花火の爆発音は横隔膜に響き、まるで
    村上”ポンタ”秀一(って殆どの人は知らないよな、日本一の
    ドラマーです。)のドラムのようだった。

    隣にいた高校生ぐらいの女の子はいかにも「お祭りなので慣れない
    化粧をしてみました」といった感じでなかなか初々しかったな。
    ビールを片手に仕掛け花火を見せるために子供を肩車していた
    お父さんや、おそらく早くに来て場所取りをしていたであろう
    シートの上の親子連れとかも居たりしてなかなか盛況でした。

    帰りは交通規制のため、少し遠回りになりましたが久しぶりに
    思いっ切り飛ばして汗だくになって帰りました。
    風呂でその汗を流して飲んだビールが最高だったのは言うまでも
    ありませんね。


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