6月10日(水)続き(1)

今夜の宿泊地ボルドーに行くTGVの発車までは約5時間も(しか無いと言うべきか)在るのでパリの街を徘徊してみよう。
さすがパリ、お店が沢山ある、人も沢山居る、人種も様々白人、黒人、アラブ系、ユダヤ人。以外とアジア系が少ない。
旅行者と思わしき日本人は見掛けるが何故かあまり話しかける気にはならない 。

やはり開幕戦とを数時間後に控えているためだろう。スコットランドのサポーターをあちこちで見掛ける。ビールを飲みながら歌を歌ったり気勢を上げている。ぱっと見は結構怖いのだが以外と陽気でフレンドリーだ、カメラを向けると肩を組んで歌を歌いながらポーズを取ってくれたりする。
中にはブラジルのユニフォームを着たスコットランドサポーターも居る。何だかなあ、まあいいか。
でもスコットランド人だからってスコッチを飲むって事も無いのだなあ。みんなビールを煽っていたから。

適当に歩いているとはたと気付く、果たして今自分は何処に居るのだろうか?
地図を見ても全然分からない、空が曇っている為自分がどっちに進んでいるのかさえ分からない。
結構歩いたのでちょっとヤバイかな?と地図を片手に途方に暮れて、もうそこらの人を捕まえて聞くしかないなと思ったその時「May I help you?」とうら若き女性の声が・・・はっきり言って天使の声にも聞こえました。
多分大学生ぐらいでしょう、金髪で眼鏡を掛けたなかなかの美人が一生懸命私も持っている地図と睨めっこをして現在地を調べ何処に行きたいのか等をを聞き、教えてくれるのです。
どうやら私は物の見事に行きたい方向とは逆の方に歩いていたようだ。
彼女はメトロかバスで行くことを勧めてくれたが歩くのが好きだからと断って、英語とフランス語で礼を言って歩いてきた道を引き返した。

この日は妙な天気で夕立のような大粒の雨が5〜10分程降っては止むといった事を繰り返していた。
この季節、フランスは天気が良いと聞いていたので迂闊にも傘を持って来ていなかった私はその度に雨宿りに大童になっていました。
たまたま隣で雨宿りしていた人と顔を見合わせて「傘は持っていないのか。ついてないね」といった会話(?)お互い言葉は通じないのでニュアンスで笑ったりしていました。
土産物の絵はがきやポスターを売っている露天商や路上で絵を売っている若者達はさすがにばたばたと大騒ぎをしていました。

ノートルダム寺院の前では数人の日本人観光客がフランスの
テレビ局と思われる人にマイクとカメラを向けられインタビューを受けていましたが「日本勝つ!」とか景気の良い事を頭悪そうに叫んでいたのが微笑ましかったなあ。
そして中年サラリーマンと思われる日本人観光客数人が地元の(?)中学生ぐらいの女の子と肩を組んで記念写真を撮っていたのは良いのだが、その際の下品なたち振る舞いにはあきれた。
私のたち振る舞いが上品とは口が裂けても言えないが何処に居ても最低限のマナーだけは守るように気を付けてはいるつもりだ。彼等の「旅の恥は掻き捨て」といった態度、行動は同国人として恥ずかしさを通り越して吐き気さえ催す。

同じ場所では2人の乞食の少女が乞いに来たがその現実は私を更に落ち込ませた。
ブリュッセルにもこのパリにも乞食は少なからず見掛けたが服装や顔つきからすると何処かからの移民かジプシーなのであろう。何にせよ子供が紙コップを持って物乞いをして歩いている姿はいたたまれないものだ。多分何処にでも居るものなのであろうが・・・

パリのモンパルナス駅では噂に聞き、恐れていた英語が通じない駅員というモノに出会った。よりによってフランスで最初の駅員がこれだよ。パリと言ったら国際的な大都市なのだから、しかもその主要駅の一つなのだから英語ぐらい喋れろと思うのだが日本の駅員も大体喋れないな。
こっちはこっちでフランス語なんか全然分からない物だから身振り手振りに書類を片っ端から見せてその場は何とかなった。
出発前に一応フランス語の入門書は買って目は通したのだが少しばっかり単語が話せたところで彼等の言うことは全く聞き取れないのだ。
それを昨日のブリュッセルで思い知り、この旅は英語で通そうと決心したのだ。
だからと言って英語がちゃんと喋れるのかというとそういう訳でも無いのが悲しいところだ。


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